2021年5月21日金曜日


例年より21日早いと聞いた梅雨入り
天気予報はあてにならない
いつもなら水不足で頭を悩ましていた時期、今年は水が入ってこないようにしている
稲はどちらにも対応できると思う

昨夜は豪雨だった
雨音が激しく、植えた苗や苗代は大丈夫かな?なんて思ったりした
そういうことを思う様になるなんて、それこそ思いもしなかった

実際に手足を動かして、身を粉にして、やっとわかった感謝の意味
生きるというより生かされている実感




苗代に水がたまると、苗の上の方に避難する虫たち




水がなければ雨が恋しく
日照量が少なければお日さんが恋しく
そうしなければ米が立派に育たない、などと色々理由を付けたがったのは経験が少なかったからだろう
思い通りにはいかないと手放せばなんと楽なことか
それでも稲は育つ
水量が少なくても育てばやれ畑苗代だSRI農法だと言いコントロールしたがるが
稲の方から種の方からちゃんと舵をとっている
野良仕事は子育ての良い練習になるなと毎年思う
当然そのままあてはまるわけないけれど
なぜなら思い通りにいくわけないのだから
大丈夫としっかりと信じ切ることが重要なんだろうな
子供以上に自分自身を

そういう学びや経験を学校でしてきただろうか
個人差はある
しかし、第二次産業革命に沿った教育観の中では後回しにされていたことは多数の人が指摘している
シュタイナー、モンテッソーリ、ペーターペーターゼン。教育者でなくてもフロム、ガンディー、松井浄蓮、無数にいる。
第三次産業革命についてジェレミーリフキンは新ガンディー主義と親和性が高いと書いている
そうであってほしいと願う
娘が授業の一部がつまらないと言うので、
なぜ?と聞くと
「待ってなくてはならないから」と
その間別のことしてたら?と言うと
「怒られるかもしれない」と返ってくる
この萎縮はなんだろう
友人のお母さんからも同じ危惧を聞いた
自分の小学生時代に感じていた空気も同じだった
時代は目まぐるしく変わっていくのに、相も変わらず覆っているものが変わっていないのだろうと思う
ゆえに常石小の取り組みには目を見張るものがある

第三次産業革命(日本は第四次と言っている)とそれに沿った新指導要領に期待を抱くのと同時に、
日本の根源を見つめ、問い直す、佐伯さんの新刊sacred world vol.2のような視点の重要性をあらためて思う