2017年5月30日火曜日

ヘルパーさん到着

午前中、草取りと草刈りをおこない、ついに一枚草取りが終わった。

昼過ぎ自宅に帰ると、ちょうど駅から歩いてくるヘルパーのチンさんに出会った。
明日は修学旅行生と田植え。

今日草刈りを終えた田んぼで、ちょうど田植えができる

開墾前

     開墾前

開梱後




2017年5月29日月曜日

鹿の侵入

朝行くと、電柵ポールが倒れていた
鹿の足跡
殺意の再来

罠は作動したがかかってはいなかった
今年も獣に悩まれそうだ
猪は今のところ近づいてこない。草刈りが効いているのだと思う。

青空にも関わらず、鬱蒼とした田んぼ横の山を見ると、次は間伐をするか、と思う。
斜面に無数についた獣道。畦へとつながっている。











2017年5月26日金曜日

成苗へ

修学旅行生の受け入れ、そして久しぶりの雨が過ぎ去り、
2日ぶりだろうか、苗代の苗をじっくりと見た
4.5葉の成苗に育った苗が多数ある

今年も田植えができる。感謝

本田の草取りを進めなければ。

畑隣の田んぼも草刈りをおこなった
当初はしないつもりだったが、
・種を撒かれるのが嫌
・手を入れて、せめて高い草が蔓延らないようにする
・来年はもしかしたら下の田んぼに移るかもしれないので、下ごしらえ



2017年5月23日火曜日

電柵の再設定


猟師の友人に来てもらい罠を仕掛けてもらった
その一部始終が見れたことは良い経験となった
狩猟免許をとったものの、罠を仕掛ける暇がとれなかったが、今年は違った
来年からは自分も猟師業を始める

電柵の高さをみて、一番下は15-20cmにした方がいいと助言をもらった
たまたまそこだけ高かったのだが、午後電柵を一周して見回った
同時に草を手刈り。

今の時期は獣が入ってきていないが、これからが本番
心理柵を抜けられないように、出来る限りのことはしたい。

草を刈って回っている最中、
田んぼを見守るかのようなお地蔵さんの周囲の草刈りもした。
去年は稲刈り後にやっと草刈りができた場所だ。
今年は今の時期にも手が回せることとなった。
感謝

なぜ刈ろうと思ったか、さほど大きな理由はない。
信仰もない。
ただ、田んぼをしていると、自分だけでできているのではないと思えるところから、思い立っている気がする。
田んぼを作った人たちのことを想像すると、感服する。
よく作ったものだなあ、と。
作らなくては生きていけないにしろ、あの広さを田にするなんて。
耕作放棄地を再生するのとはわけが違う。

一体いつ作られたのか定かではないけれど、先人の努力あっての今だと心底思う。
そして、そういう人たちがこのお地蔵様を祀ったのだろうと考える。
いまの地蔵自体は数十年前に入れ替えられたのではないだろうかと思える作り。
その前はただの石が地蔵として祀ってあったのではないか。

一体どういう気持で置いたのだろう、そんなことを考えながら草を刈った。
「今年こそしっかりとお米がとれますように」そう願った間なしに、欲深いと自省した。
きっと建設当時の人たちはそんな想いは二の次だったに違いない。
田んぼを作らせてください、そんな祈りだったのではないか。
そして目当ての開墾ができた後に、米をいただけますように、家族を食べさせられますように、と願ったのではないか。

地蔵を設置する理由はぼくはわからない。
研究者や民俗学を専攻する人ならウンチクをたれることは可能だろう。
でも、何が正解か、なんてことは全く興味がない。
自分があれこれ想像しながら草を刈る。
自分のおこないを見つめながら、ただひたすらに草を刈る。

社の上に木が寝かせてあるのに気づく。
嗚呼、守ってあるのだ。と思う。
何年も草で覆われていた地蔵と社が山の中に居場所を取り戻した。

草を刈るおこないそのものが祈り、そんな風に思えた。
形式も、
他者の解説もない。

なんのため、というのもない。
田にしてくれた名も知らぬ人と、その人たちが祀った地蔵様との関係を想像しながら
草を刈る、この行為自体が祈りだと諒解した。

2017年5月22日月曜日

水不足

晴れが一週間近く続いている
下流の畑の人も困っているようで、それぞれ水を引くための「工作」が行われている

苗代だけでも充分な水位を保てるように、本田との区切りはなくさないでいる
もともとぬかるみがちな田んぼなので、干上がることはないが、
抑草効果を期待できるほどの水量はない

しかし、作物していないさらに下段の田んぼは、こんな状況でも水位がしっかりある。
来年は場所を変えても良いきがする。
日当たりもよいし、水のめぐりもよくなったし、今年は来年に向けての田んぼ作りを始めてもいいかも。

・鳥よけ対策をしっかりとる
・苗箱用の苗代をつくる




最上段
鳥にほとんど食べられてしまったようだ
最後に作った苗代
時期が遅かったのか、雑になってしまったのか

鳥の餌食
育苗箱を使ったやり方は、
これまでとは別物で考える

来年はプール苗にする

田んぼの土の中に埋めてみたところは
発芽率が悪かった
やはり粘土質が過ぎたようだ


第一葉が3cmほどあるものが多数なのは良かった





茶米、赤米、亀の尾
のところが一番苗代っぽい

亀の尾もしっかり発芽した


鳥に食べられた苗箱
ネットも張っていたのだけど効果がなかった

なぜかこっちは苗箱も生きている

初期の頃につくった育苗箱
悲惨な姿

黒いので、発芽したかわかりにくい朝紫
けっこう成長してくれている


2017年5月21日日曜日

草刈りの日

二十四節気 小満
 小満とは

この時期に草刈りを定めるのか、なるほど。

田畑の環境づくり、を中心においた草刈りだったのだけど、
まだ暑さになれていない体で夏のような日差しの中、自分よりも背丈のある草を何百本と刈るのはあまりにしんどかった
半分ほど残して終了

夕方、日陰になった場所で休憩しながら、
あがいても焦っても仕方がないことを痛感した

やはり早朝から正午くらいまでにやるのが良い

2017年5月18日木曜日

草取りの日々

苗代はほとんど雑草が生えていない

田んぼの芹と赤い茎の草を抜いている

20日に全面的な草刈りをおこなう

生育はまずまずだが、今年は水を与えすぎたように思う

今年の稲刈り後、苗代となる部分をしっかりと作ってから、冬期湛水にする。

生息しているのはタガメではなく、コオイムシだった。
タガメ探してみよう
いたらびっくりするだろうなあ。あんな大きいものたまらんなあ。

相変わらず毎日穴があいていて、そこへ水がごうごうと落ちている
水のめぐりは本当に改善され、去年だったら水不足だった水量なのに、しっかりと巡っている。二年目の変化に驚く。
背の高い草も抑えられている

しかし、水を止めても何処かからか流入してくるのは相変わらず。

獣の被害も今のところない。
ヒルの数も激減した
マダニにも遭遇していない

去年はいなかった鳥の姿をみるようになった

畑の大根も成長している
オクラと水菜も
かぼちゃは発芽しなかったので苗を買って植えようか

2017年5月17日水曜日

再び苗代の灌水

先走ったと思い一度は止めた苗代への灌水、2.5葉が目立つ苗代は再び灌水した。
茶米・赤米のある苗代は後日

新たに開拓した田んぼは笹で4/1ほど埋まっていたので、それを取り除いた
同時に雑草抜きも
水がまわるようになった。

毎日穴が空けられ、水が抜けている
仕方ない、と思いつつ埋める作業
繰り返しのいたちごっこだけど、こういうもんだ。

6月の豆まきに備え、畝の草刈り
亡骸の層を目指して
今は粘土質でかちかち。
草刈りは5/21頃にする
それまでは苗代の草取り、畑の草刈り、田んぼつくり

水がたまるようになった
奥に写っているのが笹
田んぼから拾い上げ、畦へ。
電柵の維持がし易いように、電柵からは離してある

タガメが沢山いる。無農薬5年以上の場所ということだろう。
アカハライモリも。
フグと同じテトロドトキシンという毒をもち、腹の赤黒の斑点模様は毒をもつことを他の動物に知らせる警戒色になっていると考えられている。陸上で強い物理刺激を受けると横に倒れて体を反らせ、赤い腹を見せる動作を行う。

ああ、今日、腹を見せられていたなあ。。

2017年5月12日金曜日

苗代への灌水

日に日に成長する稲の苗に感動をもらう日々

灌水は早計だった。。
苗の成長具合から、適期だと思い苗代に灌水した。
現在、2.5葉ではなく、1.5であった。

明日、帰宅後に閉じに行く。
もしくは早朝に。
反省

茶米・赤米の場所には水が回らないよう堰き止めた。

電柵下の草刈りを行った。
今年2回目

水路沿いの田んぼに大きな穴が空いていた
おそらく猪
塞いだ

本格的な田んぼの季節となり、水量が著しく減った
一度、川の上流を見に行く



茶米
浸種期間が短かったので、不揃い




朝紫はなぜか発芽率がよかった
鳥の餌食にもなっていない


苗代は軽く、浅く、起こし、
トンボをかける
稲株があると、播種スペースが減る

ほぼ壊滅
作り方がおろそかだった
鳥に食べられた
発芽後も鳥にやられた
ネットをしてからも鳥の餌食となった


2017年5月5日金曜日

2年目の田んぼの楽さ

5月に入ったので、畑には新たな播種。
スターオブデイヴィッド、ゴマ、ひまわり、

田んぼは、畦修復のために畦の草刈り

苗代への水やり
覆土していなかった箇所の発芽率が低い
茶米、赤米がもう出穂している。徒長しないか少し不安。

helperとやる仕事を考えた。
・まずは草取り。四枚目と一枚目の田んぼに草がはびこっている。
これでは田植えもできない。しても草に負ける。
・畦塗りは楽しんでやってもらえそうだ。
・草取りをお願いしている間に、一部の電柵ポールを杭に交換して、テンションに均等をもたす
・播種 これもよろこんで貰えそうだ

草取り、草刈り、そして何より娘とのやりとりをお願いしたい

苗代
道路側の溝は不要かもしれない
あまり必要性を見いだせない

2年目ともなるとこんなに楽になるのか、と肌身で感じている
初年度はきつかったなあ
苗も育っている
今日はぐんと暑い日だった

今年は使わない田んぼ
藻が繁茂し、なんだか良さそう
helperさんと草取りをしたら来年は使えるかな


この地域の春

世間はGW。どこの田んぼでも田植えが始まっている
いつもは聞こえてこない子どもたちの声もある。

我が家の苗代の苗も一斉に顔を出し、ツンと立派な姿を見せてくれるようになった。
ほっと胸をなでおろす。
4/15の播種から20日、不安というか、祈りの日々だった。
世で言う、神か仏かに祈る、という祈りとは違って、
もっと単純なもの。「育ちますように」
何に祈るのか。特段信仰している宗教もない。教えもない。
撒いた種の生を祈るようなもの。この生に対して邪魔はしていないかの自問。
余計なことをしていないか。

子どもの成長に感動するのと同じように。

ポット苗、育苗箱の発芽率は低い
いい加減にやったのが悪かった。来年は先人の知恵をしっかりと勉強して試す。

直播きも、覆土した方がやはり良い。これも経験則から学ぶべきだった。
田んぼの土に埋めたものは、発芽率が悪かった。粘土質では酸素不足に陥って発芽率が下がるのも、知恵として残っている。

でも、今年の春はいまだったのだろうとも思う。
去年に比べいつまでも寒い、そういう声が多い。
世間と比べるのではない。
稲の成長に沿う、その刻の流れに合わせるしなやかさを自身に持つこと。

日に日に、出穂した籾が成長する。草取りに励む。
春がおとずれた。







地域によって生育に違いがでるのは当然
まるで統一理論のような「日本の精神」なんてものあるのだろうか。
根源的なものを見つめたいが、
それが結局、要素還元主義的な視野狭窄に陥ってはいないか、と見つめ直すことは大事なんだろう。