2017年5月5日金曜日

この地域の春

世間はGW。どこの田んぼでも田植えが始まっている
いつもは聞こえてこない子どもたちの声もある。

我が家の苗代の苗も一斉に顔を出し、ツンと立派な姿を見せてくれるようになった。
ほっと胸をなでおろす。
4/15の播種から20日、不安というか、祈りの日々だった。
世で言う、神か仏かに祈る、という祈りとは違って、
もっと単純なもの。「育ちますように」
何に祈るのか。特段信仰している宗教もない。教えもない。
撒いた種の生を祈るようなもの。この生に対して邪魔はしていないかの自問。
余計なことをしていないか。

子どもの成長に感動するのと同じように。

ポット苗、育苗箱の発芽率は低い
いい加減にやったのが悪かった。来年は先人の知恵をしっかりと勉強して試す。

直播きも、覆土した方がやはり良い。これも経験則から学ぶべきだった。
田んぼの土に埋めたものは、発芽率が悪かった。粘土質では酸素不足に陥って発芽率が下がるのも、知恵として残っている。

でも、今年の春はいまだったのだろうとも思う。
去年に比べいつまでも寒い、そういう声が多い。
世間と比べるのではない。
稲の成長に沿う、その刻の流れに合わせるしなやかさを自身に持つこと。

日に日に、出穂した籾が成長する。草取りに励む。
春がおとずれた。







地域によって生育に違いがでるのは当然
まるで統一理論のような「日本の精神」なんてものあるのだろうか。
根源的なものを見つめたいが、
それが結局、要素還元主義的な視野狭窄に陥ってはいないか、と見つめ直すことは大事なんだろう。