2021年4月29日木曜日

生え変わる物語


IoTインフラは、ガンディーの経済ビジョンを推進する手段を提供し、 これによってもたらされ、その中に組み込まれているガンディーによる善き経済の探究は、インドだけではなく、 公正で持続可能な未来を模索する世界中の新興国にとっても、 強力な新しい物語の役割を果たす









ガンディーによる善き経済とは?リフキンは、こう定義する。
コミュニティの利益が個人の利益に優先する、道徳に適った経済

自分は、富と徳の関係はもう見られなくなったんじゃないか、とおそらく子供の頃から思っていて、
二宮尊徳の教えも、ガンジーにおける糸車のように、
”中央集権化されたトップダウンの形で商業的営みを管理し、垂直統合した経済活動を行うのに有利に構成されている工業化時代”
を抜けて金融資本主義と新自由主義となった現代においては、いよいよ風前の灯のように感じていた。
にもかかわらず、メルケル首相を始めとした各国の首脳等に助言をしている立場の人が、
”ガンディーの理想の経済は、第三次産業革命やそれに付随する協働の時代と、驚くほどの哲学的類似性を有している”
なんて書くものだから、期待せずにはいられない。

その彼自身の哲学とは、
・自給自足のローカルコミュニティで非中央集中型の経済的生産を行うこと
・工業機械労働よりも手工業労働を追求すること
・経済生活を物質主義的追求ではなく道徳的・精神的探究として思い描くこと
これらを重視する。
ゲーム理論でみれば不利でしかなかった行動原理だと思うのだけれど、次代はゲーム理論も刷新される可能性が高いということか。

ガンディーは自らの経済ビジョンを”人々の自宅での大量生産”と言った。
後にE.F.シューマッハーは、”大量生産ではなく、大衆による生産”と要約した。
”仕事の元へ人々を連れてゆくのではなく、人々の元へ仕事を持ってくる”
ということ。これは働き方の変化、住む場所の変化を意味し、コロナ社会後に目立つ動きと重なる。
暮らし=大きな意味での経済の変化を想起する。
第三次産業革命の構成要素であるプロシューマー化とは、”ガンディーが予見していた、大衆による生産という概念に近い”
それはなぜか、ということがこの本には多数の例をとりあげ解説している。
こんなに読んでいてワクワクする本、知的好奇心をくすぐられる感覚は久しぶりで、
20歳前後の頃、立花隆さんの本を読み漁っていた頃の気持ちを思い出した。

”「市場における私利の自主的追求ではなく、共有されるコミュニティにおける各自の関係の最適化」という彼の幸福の概念は、協働の時代の特質である。”
協働の時代とは、第三次産業革命の時代を意味する。
そして、”ガンディーにしてみれば、幸福は個人の富を蓄積することではなく、思いやりと共感に満ちた人生を送ることに見出されるのだった。”
こんな夢物語、とこれまでの第一次・第二次産業革命時代では一笑と共に一蹴されていた。DMMFXは広告企業とともに揶揄し嘲笑っていた、それが共感される時代だった。

第三次産業革命とガンディー哲学との類似性を”新ガンディー主義”の世界と称し、
そのことについて”生活の質についての新しい夢を反映している。”書いている。
限界費用ゼロ社会を読んでいて感じる面白さ、第三次産業革命への期待の源泉を垣間見た気がする。

第七章は限界費用ゼロ社会における教育について
今も続く学校教育のメインストリームは、
”大量生産は、垂直統合型の企業と、経済力を一極集中させて市場を独占するという固有の傾向を伴う”
とい文脈上にあった。
それが、第三次産業革命後はどう変わるか。

”協働の時代には、学生は、知識とは仲間たちから成るコミュニティでシェアされる経験と考えるようになる”
という考察から始まり、これまた読み進めるのが楽しみ




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2021年4月28日水曜日

草取りbefore after


亀の尾田の草取りもほぼ終わった
この草取り作業だけは動力機械を使ってもいいんじゃないか?と毎年思う
水がしっかり溜まる田んぼなら草を抑えられるからなくてもいいのだけど、この田んぼはそうはいかない
でも、動力が使えるくらい地固するのも難しい湿田
と思いながら今年も終わった

田んぼの草取りはあと一枚
そして、そうこうしているうちに苗代の草も勢いがついてきた

満月餅は今年は厳しい
再度、催芽をしているのだけど鳩胸にならない
しかし2度目に播種した場所は発芽率がいいので、今よりはきっとうまくいく

子供田んぼのお米は良い感じに鳩胸になった
明日から雨らしいが、時間をみつけて播種







2021年4月27日火曜日

草取り


最上段の田んぼ、亀の尾田は草取り最難関
穴を開けられ、水がたまらず、草が蔓延る
そして一番広い

夫婦で草取り
子供達が入学と入園したので、7年振りに2人で草取りする時間がポンとできた
長かったような、拍子抜けするような





2021年4月25日日曜日

田んぼの草取り


田んぼを4枚と半分、草取りをした
セリがほとんど

2枚以外は水がしっかりたまるので抑草できている

ヒルやセルカリア皮膚炎が気になっていた頃は、水の中に手を入れるのも嫌だったので、
いくつか道具をためしたのだけれど、
結局「手」が一番仕事がはかどる

満月餅の苗代にかけている不織布もはがそう





2021年4月24日土曜日

草刈り


日がな一日刈払機を振り回した

山側は日陰になりがちなので、まだ草もそんなに伸びていなかった
今のうちに、と河川敷も草を刈った

朝紫が成長していた
満月餅は、後から蒔いた分が発芽していた
やはり、極低温で長期浸水しすぎていた+一昨年の種で発芽率も落ちていた=発芽しない、ということになったのだろう

一昨日から、11度1週間浸水で催芽を始めた
・満月餅
・子供田んぼ(ブレンド)

ジャスミンライス は発芽しなかった。この苗代に子供田んぼの種籾を播く
もしジャスミンライス が発芽しても、ブレンド米にするので問題ない

満月餅は、満月餅の苗代へ。発芽があまりしなかった場所に播く





2021年4月22日木曜日

若松英輔さんの「光であることば」を読んで


モンテッソーリやプラトンにとって教育とはその人自身を顕現させる営みだったと記してある。
シュタイナーは農作業を通じて学んでいく機会をエポック授業と名付けた。
教育者認定書など取得しなくとも、親という立場を離れた大人同士の試行錯誤からそのような場を築けないだろうか。
そんなことを思いながらの田畑を数年続け、そして訪れてくれる人の数が増えてきた。
今年から子供が入学と入園をし、私たち親の自由時間が増えるので、また一歩そこへと近づきたい。




”文字は目で見、声は耳で聞き、意味は脳で認知する。それがおよそ学校と呼ばれる場所の常識だった。
モンテッソーリやプラトンにとって教育とは、ある思想によって人間を作り変えることではなく、その人自身を顕現させる営みだった。
井筒俊彦は、声や文字である言葉とは異なる意味の顕れを、「コトバ」と書いた。究極のコトバはあらゆる言葉を包み込む沈黙である。
目で読み、手で書くことによって認知できる言葉があるように、「ふれる」ことによって感じ得るコトバがある。むしろ、人生の秘技は、しばしばコトバによってこそ語られる。”





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2021年4月21日水曜日

苗代の下準備について


整地をしっかりする
籾殻はまかない


もう少ししっかり整地したほうが良い、と思う
冬の片付けの時に、ある程度崩して、平にし、水をいれる
それと、籾はまかないほうが良い
もし種として生きているものがあればややこしいことになる
籾殻薫炭なら良い
それこそ冬仕事に適している。雪が降る前なら火を使って暖まるし、籾殻くんたんができる


苗代に水をいれた


苗代 草取り

電柵下の草刈り
低い草を刈らないように、と思いながらしていたのだけれど、なかなか思うようにはいかなかった

満月餅、ジャスミンライスはまだ発芽していない
満月餅は蒔き直したほうが良いか





2021年4月20日火曜日

満月餅が発芽していない


苗代の草取り
滋賀旭、亀の尾 順調
ハッピーヒル、朝紫 8分
満月餅、ジャスミンライス 発芽確認できず

今週は晴れが続くようなので、それでも発芽しなかったら、満月餅は播き直す

電柵下の草刈りをそろそろしなければ
今日で晴明も終わり、明日から穀雨
草はちゃんとわかっているようで、ぐんぐん伸びる
満月餅も穀雨の中、育ちますように