優がトンボを作ってくれた
二枚目まで、田植えの準備ができていないまま見切り発車していた
一枚目は修学旅行生の田植え体験が重なり、
二枚目は出張での不在と重なったからか。
やっと三枚目でそれなりの準備ができた上での田植えとなる
ヘルパーさんのおかげで助かっている。
旅行中であり、なれない日本での暮らし、勝手の違う他人の家、と心身があまり休まらないだろうに、不満も出さずに頑張ってくれている。
休憩が少し多いのは上記の理由が大いにあると思う。
今夜は餃子を作ってふるまってくれた。人生初の餃子作りだったそう。
感謝
田んぼの帰りにIおばあちゃんに挨拶。
娘が休憩したがっていたので、畑の影になっている場所に呼んでくれた。
服が汚れないようにとシートを敷いてくれた上に、玉ねぎとジャガイモまでいただいてしまった。
休憩中、おばあちゃんの昔話しを聞かせてもらった。
田んぼが大好きで、たくさん作ってきたそうだ。
当時は木を一本売ればそれで充分に生活していけたそうで、
後は家族総出で農作業。
近所の人も一緒になるので、田んぼの周りでは子どもたちが沢山遊んでいたそうだ。
うちの娘はどうしても一人になってしまうので、羨ましいと思った。
なんて良い環境だろうと。
学校でも読み書きなんかよりも、農作業や草鞋つくり、そういった暮らしの手仕事ばかりだったとのこと。
戦中はできた野菜を提供しなければならず、手元に残るのは小さなものばかりだったと。
大根飯なんて食えたもんじゃないよ、と言っていた。
玉ねぎなんて作れるようになったのは最近で、戦中は芋と大根くらいだったと。
機械化されてお金はかかり、薬も使うようになったことを良くは思っていないようだった。そのことを悪く言うよりも、お互い様で助け合ってやってきたことを嬉しそうに話してくださった。
そういう方の目にぼくたちのやっていることはどう映っているのだろうか。
「一升でいいから譲って。ああやって苦労して作った米はさぞ美味しかろうし食べてみたい」と言ってくださった。その言葉になんだか気持ちが込められているように思う。
「秋には米を持ってきます」と言うと、
「買うで。お金はいらんと言うなら、もういらん。今断る。あんたらが苦労して作った米はお金出して買う」と。
嗚呼、なんだか充分だな。
充分すぎて、お釣りがでる。
Iおばあちゃんなどと目上の方に対して呼ぶのがおこがましいことくらいはわかっていて、それでもなお、優しさと厳しさで受け止めてもらえている気がする。
少し柄が短いけれど充分働いてくれます |
三枚目 |
三枚目 |
二枚目 |
一枚目 |